ところで

小飼弾氏が「血液型占いはプラセボではないか」という提言をしているが、
(つまり、「A型=几帳面」と自分で思うから几帳面になる)
ここに面白い実例がある。


俺自身、まさに「血液型を知らされず今になって真の血液型が判明した」実例なのである。
23年間俺はA型だと思って生きてきたが、ここに来て血液型試験によりO型であることが判明した。
これだけでちょっとした笑い話なのだが、この事件は俺のアイデンティティに少なからず影響を与えた。
「几帳面と思っていたがそうではなかったのではないか?」
なるほどどうしてO型だと判明してO型の血液型占いを見るとぴったりと当てはまっている。
しかしA型の血液型占いでも充分当てはまっていた(と感じていた)ように思う。


結論から言えば占いは誰にでも当てはまる要素を選び出して書いているように思う。
糖鎖の違いで性格が変わるなどナンセンス、という理系的な見方もできるが、
性格の類型が血液型で決まる、と考えるとトンデモ科学ながら面白いとも言える。


理系でありながら俺は文系なので、後者の見方を推してみたい。
俺はプラセボで思いこんでいた「A型」より真の血液型、「O型」の性格にぴったりと当てはまったのだから…w