ターン

前回『スキップ』を読んだ、と書きましたが、これは時の3部作2作目でございます。
同じ一日がループする女の人のお話。
(以下、致命的なネタバレあり)
うーん。期待していたほどの面白さはなかったかなあ。
俺的にはやはり『スキップ』の方が透明感があって好きだ。
あーいうジュブナイル的な展開も大好きだし。


ただ、やはり北村薫節というか、その流麗な文体はまったく持って健在。
どうやったらこんなに綺麗な文章が書けるのかは世界の謎だ(言い過ぎか


そうそう、「謎」といえば二人称の謎。話は理解できたがどうもしっくりこない。
結局、知り合いになる前から二人は意図せずして心が通じ合っていた、ということなのだろうか。
最後らへんで、二人称に戻るときは「ああ、これは『彼』が語りかけてるんだなあ」というのはわかるのだが。


ともかく、時間がループするという展開は基本中の基本なので、それを如何にして料理するか、というのが小説家の見せ所なのであるが、その辺はまあ、平凡っちゃあ平凡かなあ、と思う。


北村薫の小説は出てくる人がほんとピュアなので、そのあたりは汚れた現代人の一人である俺としては好感を持って読める。
だが、誰もいない世界で金を払うほどピュアな人はリアリティがあるのか?とは思う…


全体としてはこーいう設定の話を見ると真っ先に思い出すのがCROOSS+CHANNELである。
「日記」を書いて記録を残す、という考えが小説中に書かれたときはC+Cはこれのオマージュじゃねーの?とか少し思った。
しかしよくよく考えてみるとあっちは「記憶が残らない」訳で。こっちは「記憶が残る」訳で。ここは絶対的な違いとして
挙げられるなあ、と思ったのでそこまで似ている訳でもないか。


こういう「時」系の話が何が面白いかって、「自分がこうだったら」と考えるからだろう。
『スキップ』で得られた教訓は、「時は残酷だ」ということだった。たとえ本当に「スキップ」して25年の時間が飛んだとしても、
時は逆行しない。辛いことではあっても、17歳の少女はそれを受け止めねばならない。
『ターン』で得られた教訓は、「まったく同じように見える毎日でも、それでも時は動いている」ということだった。
やはり『スキップ』に比べると読後感がスカッとしねーなー…名作であることに変わりはないが。


さて、近日中に『リセット』でも読んで時の3部作を読了しよう。