1973年のピンボール

これで「鼠」が出てくるストーリーは全部読んだことになるのか?ようわからん。
とりあえず「僕」3部+1部作はこれで打ち止め。
風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』という4つの作品は、村上ワールドをわかりやすく体現する、いわゆる村上春樹の代表作であり、その点で彼らしい文章を味わいたい人にはお勧めする。


1973年のピンボール』はピンボールにとりつかれた男がピンボールをしまくって破産するお話。


では全然なく(正確にはそういう描写もなきにしもあらずだが)、「僕」と「鼠」の二つの視点で語られる、淡々としたストーリー。


彼が静かに語る1980年代というのは、まったく古さを感じさせないのだ。携帯電話などが出てこないことがかえって新しく感じたりもする。その原因はなぜなのだろう?と考えた。


俺が一つ考えついたのが、世相を表す世俗的なことがほとんど出てこないことだ。ラジオ、テレビ、そういったマスメディア的なものから登場人物は離れている。彼の作品に出てくる登場人物は退廃的な生活を送り、やりたいことをやっている。そんなところが理由なんじゃないかな、と思った。


読者が20代で、文学っぽいものを読んでみたい人には、いい小説じゃないだろうか。

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)