オタクはすでに死んでいる

岡田斗司夫の最新作、なハズ。
オタキングと呼ばれた岡田がオタクへと向けるオタク論。
本当にオタクは死んだのか?


…などというレベルの高いオタク論をここで展開する気はさらさらなく、
第3世代、つまり私たちの世代に対しての記述はとても共感できた、ということをここに記しておこう。
真剣10代しゃべり場」の例を出すまでもなく、20歳前半の私たちの世代はオタク=アイデンティティに関わる問題
という認識を多少なりとも(多くの場合は多分に)抱えていると思う。
それは俺も例外ではなく、俺自身「なぜ『オタク』といって差別されねばならないのか?」という議論を中学生時代書いていたことがある。


つまりは昔の貴族主義、エリート主義が消えているという認識はある程度正しい、といえる。
今オタクと呼ばれている人々は基本的には幅広い興味、などというものはない。多くはコミュニケーションツールとしてアニメ、漫画、ラノベなどを摂取しているだけだ。それ以上の価値をコンテンツに見出せない人も多いだろう。


でもだからといってそれがオタクが死んだことになるのかといえばそれは少し違和感があるように俺には思えるのだが…。
単にその辺はオタクの定義に対する考え方の違いなのかもな。


ここではそこまで議論を深めるつもりはないし、俺自身あまり文章が上手くないので掘り下げることができるとは思わない。
そういった微妙な言葉の差異についての議論は他のネット論客に任せるとして、筆を置くことにしよう。